スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

納得できない生まれ変わりのシステム

スピリチュアルを学んでいると真理のシステムは精妙にできているものだと思いますが、

ただ、中には納得できないと思えることもあります。

 

 

その中の1つがグループソウル(類魂)による生まれ変わりのシステムです。

私は今までカルマの刈り取りは、

カルマを作った本人が生まれ変わってきて行なうものだと思ってたんですが、

『真相を霊視してゆっくり解説』を見ていると、

悪いカルマを作った本人ではなく、

他の類魂が代わりにこの世に生まれてきてカルマの刈り取りを行なうということのようなんです。

 

 

たとえばグループソウルの中のAという魂がこの世で悪行や罪を行なって悪いカルマを作ってしまってあの世に帰ったら、

次の人生はカルマを作った本人Aではなく、

おなじグループソウル内のBという魂が生まれ変わってきてカルマの刈り取りの人生を生きるということになるらしいです。

 

 

それが生まれ変わりのシステムだとすると、

私にはそれが理不尽に思えるし、納得できないところなんです。

カルマを作ってしまったのなら、

カルマを作った本人がカルマの刈り取りを行なうべきだと思うんですが、

グループソウル内の魂は連帯責任で、

カルマを作っていない他の類魂が代わりにカルマの刈り取りを行なうというのは納得できないですね。

 

 

ただ、代わりにカルマの刈り取りに生まれ変わる魂も強制ではなく、

あくまでもその魂の自発的な希望によるものらしいので、

生まれ変わりたくない魂は無理に生まれ変わらなくてもいいらしいので、

その点は安心ではありますが。

 

 

ちなみに、高橋信次氏は生まれ変わりについて、

六親眷属(本体1、分身5の魂のグループ=グループソウル(類魂)に相当)

の中の魂が順番に生まれ変わると言ってましたが、

いずれも、カルマを作った本人ではなく、

他の魂が次に生まれ変わってくるということのようです。

 

 

真理の法則は「自業自得果」だと言いますが、

実際は完全な自業自得果ではないと思える部分もあり、

真理というものはまだまだよく分からないところがあるものです。

 

 

 

イエスの幽界降臨について

スピリチュアリズム普及会』で、2021年にイエス・キリストが幽界に降臨し、

幽界下層の地縛霊を解放したという記事が掲載されていました。

もちろん、霊能力のない私には知る由もなかったことですが、

現世の霊能者でもそのことを知っている人がいるのかどうかわかりません(スピリチュアリズム普及会によれば、現世の霊能者にはそれを知る人はいないということですが)。

 

 

それによると、幽界にあったキリスト教会の指導者や信者がイエスの降臨によって

キリスト教のまちがいに気づき、スピリチュアリズムの真理に目覚め、

それまでイエスを神だと思っていたが神ではなく高級霊だということが

分かったということが記されています。

 

私も近頃思っていたように、この世にある宗教は真理から見て間違ったものばかりであり、あまりに宗教の教義を頑なに信じ込んでしまうとかえって真理から遠ざかってしまうということになるのでしょう。

 

 

幽界では2020年代に入って、

“聖職者・宗教者の地縛霊”に対する救済活動がすさまじいスピードで進行しているそうで、

イエス・キリストの願いから出発した「地球人類救済計画(スピリチュアリズム運動)」が現在、幽界において、大量の地縛霊を救済するという形で進展しているそうですが、

それがどういう形で現世にも影響をもたらすのか、

これからのこの世の行く末が気になるところです。

 

 

 

 

間違った宗教指導者のあの世での行き先

スピリチュアリズム普及会のサイトを久しぶりに見てみると、

旧・統一教会の教祖は現在あの世のどのような世界にいるのかという記事が掲載されていました。

同教会の教祖は2012年に死去してますが、

現在地獄の奥底に堕ちているそうです。

 

地獄の奥底は暗黒の谷底にある沼地で、

その世界は独裁者だった霊や

間違った宗教指導をしていた宗教家などが堕ちている場所で、

毎日、24時間、一時の休みもなく

自らが犯した悪行の数々を見せつけられ、

悲惨な状態にあるということです。

 

 

旧・統一教会の教祖がそういう世界にいるというのは、 

あれほどの悪行三昧を行なっていたことを考えれば、

当然と言えば当然の話だと言えるでしょう。

 

もし地獄ではなく天国にいるとしたら、

極悪人のほとんども地獄行きは免れるということになってしまうでしょう。

 

そう言えば、『真相を霊視してゆっくり解説』でも、

地獄の最下層は沼地で、独裁者ヒトラーもそこに堕ちていると言ってたので、

真理として共通しているようです。 

 

教祖だけでなく、旧・統一教会の狂信的な信者も、 

死後は最深部ではないが地獄に堕ちているのだそうで、

たとえ騙されていた信者であっても、

真理に反するものを狂信してしまうと、

自己責任として地獄に堕ちてしまうというのです。

 

その場合、旧・統一教会に限らず、

地獄の世界に宗派別・宗教別にそれぞれのスポットを形成し、

そこで間違った宗教を信仰し続けているのだそうです。

 

丹波哲郎氏なども言ってましたが、

この世では信仰している宗教が違っていても、

あの世ではそれぞれの宗教間に共通している思想によって

異教徒であっても考え方が歩み寄り、

対立や敵対心がなくなって同じ考え方になってゆくそうなので、

その共通している思想というのが真理の部分ということになるのでしょう。

 

しかし、その宗教の信仰や教義の中でも、真理ではないものや

真理に反するものを頑なに信じ込み過ぎると、

それに凝り固まって他の考え方と相容れなくなってしまい、

自分たちだけのグループを作ってそこで間違った信仰を続けてしまうということになるわけです。

 

旧・統一教会の教祖だけでなく、

現在存在している宗教団体の中には、

暗黒の沼地に堕ちそうな宗教指導者が他にも頭に浮かんできますが、

この世では偉大な宗教指導者を装っていても、

あの世では化けの皮が剥がれてしまうわけです。

 

 

それにしても、カルトなどを信じ込んでしまうと、

この世でも苦しい目に遭わされ、あの世でも地獄で苦しい目に遭わされるとは、

全く割りに合わない話ですね。 

「触らぬ神にたたりなし」と言いますが、

宗教には関わらない方が良いとさえ思ってしまいます。

 

 

 

細胞にも魂はあるのか

以前から思っていたことなんですが、

私たちの体、例えば人間の体の場合は60兆個もの細胞でできているそうですが、

そして、その細胞は1つ1つがそれぞれに生命活動を行なっているということですが、

 

すると、その細胞の1つ1つが生き物であると言えますし、 

生き物であるのなら、

それぞれの細胞に魂があるということなのか。

と、そんなことを考えていたものでした。

 

 

それでネットのスピリチュアル系サイトで調べてみたのですが、

明確なことを書いているところが見つからず、

よく分からないままでした。

 

 

ただ、スピリチュアル思想では石や岩のような鉱物にも魂があるといっているので、

それなら生命活動を行なっている生物の1つ1つの細胞にも魂があるのだろうと、

近頃は考えるようになっています。

 

ということは、私たちの肉体は60兆もの魂たちによって成り立っているということになるわけです。

 

それを考えると、自分の体は自分であって自分でなく、

実は他の数多くの魂たちによって成り立っているということになるわけで、

何だか不思議な感慨に浸ってしまいますね。

 

そう言えば高橋信次氏も、私たちの体は肉体舟であり、

自分自身ではなく借り物だと言ってました。

 

仏教でも釈迦の教えとされる「諸行無常諸法無我涅槃寂静三法印のうち、

諸法無我の無我は「我がない」というより、「我が物にあらず」という意味合いで、

普段、自分自身、あるいは自分のものと思っているものであっても

真実は自分のものではないという考え方で、

「自分のものではないのだから執着するな」という教えであるわけですが、

 

自分の体は自分自身のように思えても、真実は自分自身ではなく、

他の多くの細胞=魂によって成り立っているということになるわけで、

仏教の無我(我が物にあらず)の教えと通じるものがあると言えますね。

 

 

それは医学の方面でも最近はそういう考え方があるようで、

こちらのブログにも書かれてますが⇒細胞は「意識」を持って会話しあっている

細胞1つ1つは「意識」を持っており、

光を使って交信しあっているということが発見されたというのです。

 

細胞の1つ1つに意識があるということは、

スピリチュアルの面から言えば、

それぞれの細胞に魂が宿っているということになるわけです。

 

もちろん、その細胞の魂というのは、

人間よりも低級の魂ということになるのでしょう。

 

また、細胞だけでなく、細菌や微生物、ウィルスにも

それぞれ魂があるということになるはずですが、

いずれも人間のような個性としての意識を持っているわけではなく、

1つ1つの細胞が個別に考えて行動しているというわけではないのでしょう。

 

いずれにしても、自分の体であっても他の数多くの魂によって成り立っているということは改めて考えてみれば不思議なことに思えます。

 

 

 

たつき諒さんとサイババのつながり

前回の続きですが、たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』には

予知夢だけでなく、それ以外にも興味ある内容が書かれてありますが、

その中の1つに、たつき諒さんは前世ではインドの聖者とされている

サイババの娘だったというのがあります。

 

 

サイババについては少し前に当ブログで記事にしたばかりですが、

たつき諒さんは前世でそのサイババの娘だったというのです。

 

日本でサイババがブームになっていた頃、

テレビ番組で放送されていたサイババの顔を見た時、

以前に夢で見たことのある顔だったそうなのです。

それでインドに行ってサイババに会ったそうなのですが、

その時にサイババから「知っているよ」と声をかけられ、

そこで前世の記憶が甦ったというのです。

 

 

前世の時代は1800年代で、サイババはイギリスの新聞記者で、

転勤先のクウェートに家族で住んでいる時に、

娘であったたつき諒さんはマラリアにかかり、

12歳で亡くなったということです。

 

その話だけを見ると、たつき諒さんの思い込みではないかとも思えますが、

ただ、たつき諒さん自身、霊感が強くていろいろな不思議体験をしているようですし、

霊能者に見てもらったらかなり徳の高い背後霊がついていると言われているので、

たつき諒さん自身も徳の高い、魂のレベルの高い人ではないかとも思えます。

 

霊能力のない私には真相は分かりませんが、

東日本大震災を予知夢によって当てるなど

不思議な能力を現していることから考えれば

たつき諒さんが前世でサイババの娘だったというのは

あり得るかもしれないですね。

 

 

 

2025年7月に巨大津波は来るのか

元漫画家のたつき諒さんが漫画に描いた予知夢の内容が

テレビ番組でも取り上げられ話題になっていました。

この前、図書館で、その話題になっている予知夢を描いた

『私が見た未来 完全版』があったので、借りて見ました。

 

特にテレビ番組でもYouTubeでも取り上げられて話題になっているのが、

2025年7月に巨大津波が日本を襲うという予知夢です。

 

その夢は2021年7月5日午前4時18分に見たそうで、

「大災難は2025年7月」という文字も見えたということです。

 

ただ、これだけなら、今までもノストラダムスの大予言を始めとして、

いくつもの予言が外れているので、

この予言もどうせ外れるんだろうと、はじめは思っていたのですが、

たつき諒さんは2011年3月の東日本大震災を予知夢で当てているので、

これは今までの予言と違ってかなり現実味があると今では思っています。

 

それでその予知夢によれば、日本列島の太平洋側の

3分の1から4分の1が大津波に飲み込まれてしまうというのです。

巨大津波の高さは東日本大震災の時の約3倍なのだそうで、

東日本大震災の時の最高の津波の高さが約15mなので、

その3倍というと約45mの高さに及ぶ巨大津波になります。




そして、その本には巨大津波が襲う範囲が日本列島の地図に線で示されていますが、

それを見ると、私が現在住んでいる地域は微妙な位置になります。

微妙な位置というのは、大津波の被害に遭うギリギリの位置になるのです。

その図に示されているのが正確ならばの話ですが、

本当にギリギリの位置で被害は免れそうな位置になります。

 

といっても、本当に正確な位置が示されているかどうか分かりませんし、

位置がずれてここまで大津波が押し寄せてくるかもしれません。

もしここまで巨大津波が来るようなら、

この地域には標高194メートルの山があるので、

その山頂に避難すれば助かりそうです。

 

ただ、それでも現在住んでいる家は大津波に飲まれてしまうので、

それを考えると、2025年の7月前までにもっと安全な地域に引っ越そうかと思っています。

 

 

その予知夢が現実に起きるかどうかは分かりませんが、

それまで2年半ほどの期間があるので、

その間に避難の備えをしておいた方がよさそうです。

 

 

 

アガスティアの葉について

前回はサイババについての記事を書きましたが、

そこから「アガスティアの葉」も思い出したので

今回はそれを記事にしてみました。

 

 

1990年代にサイババと同じ頃、アガスティアの葉がブームになりました。

日本ではサイババの時と同じく、青山圭秀氏が著書で紹介し、

話題になっていました。

 

アガスティアの葉についての詳しい解説はこちらをどうぞ

アガスティアの葉 - Wikipedia

 

 

アガスティアの葉というのは、簡単にいうと、

インドで古代から伝わるナディ占星術で、

全ての人間の過去・現在・未来が木の樹皮やヤシの葉に記録されたものとされています。

 

その中で、日本では古代の賢人の一人、アガスティアの残した予言が記されているとされる葉、アガスティア・ナディが、アガスティアの葉と呼ばれ、

1994年から一時ブームになっていました。

 

 

それで日本でブームになった頃は、自分の過去世や未来を知るためにこの占いを受けに行くというツアーや、占い結果を入手できるという通信販売も行なわれていたようですが、

それに便乗したニセモノの専門家や詐欺商法も横行していたようです。

 

私は自分の過去世や未来が分かるというアガスティアの葉には興味はありましたが、

信じるところまではいかず、今でも半信半疑でいます。

 

人の過去世や未来などは異次元のアカシックレコードに記録されているということは信じてますが、それが現世で樹木の葉に記されているというのは信憑性が低いようにも思えます。

それもあの世に帰ってからでないと真相は分からないと思いますね。

 

 

サイババについて思う

かつて日本でもインドの聖者と言われているサイババが話題になっていたことがありました。

日本では理学博士・医学博士の青山圭秀という人が著書で紹介していて、

テレビ番組でも取り上げていました。

私も青山氏の著書を読み、「本物の聖者なのかもしれない」と、

まだ完全に信じていたわけではなかったんですが

半分以上は信じていたものでした。

 

 

日本では特にサイババの超能力への関心が高かったようで、

不治の病を治すという奇跡や、中でも聖灰(ヴィブーティー)・指輪・時計・ネックレス・腕輪などを手の中から出現させるという物質化現象が注目されていました。

 

しかし、しばらくして、物質化現象は手品だという批判や、

青少年に性的虐待をしているという批判がヨーロッパで起こり、

日本でもテレビ番組で、サイババが手品の手法で物品を手の中から取り出しているかのような映像を放送していました。

 

参考⇒「あれ、何か取りましたよ」“奇跡”の人サイババの“奇術”を暴いたTVスタッフの証言 | 文春オンライン

 

 

私はそれを見て、「本物の超能力者じゃなかったのか」と落胆してしまい、

サイババへの関心がなくなってしまったものです。

 

その後は日本ではサイババについては報道されることもなくなり、

私もすっかり忘れてしまっていました。

なので、サイババが2011年に亡くなっていたということもつい最近まで知りませんでした。

 

 

それがこの前、ふとサイババのことを思い出し、

改めてネットで調べてみました。

そこで思ったのは、サイババについては奇跡や超能力の面にばかり目がいってしまいがちですが、サイババの真価はそういう特殊能力ではなく、

無料の学校や病院を建てたり水道設備を整えるなど、

積極的に社会福祉への奉仕活動を行なって社会に、

中でも貧民のために貢献したということにあるということです。

 

 

特に新興宗教団体に多いんですが、著名人と対談したりして

偉大な宗教指導者というポーズを見せているだけで、

実態は、信者に多額の献金を強要したり、

信者を教団のために奴隷のようにこき使うといったことを行なっている宗教家が多い中、

サイババ社会福祉事業は富裕層からの寄付金でまかない、

貧しい人々には金銭を要求していなかったということで、

単にポーズだけではなく、実際に社会の福祉に貢献していたということです。

だからこそサイババの死後、国葬が行われたのでしょう。

 

 

また、それ以外にも、サイババを再認識するのにこの記事は特に参考になると思います。⇒

サイババは9.11を予言していた! 公表されない「サイババの予言文書」 (2015年5月17日) - エキサイトニュース

 

 

奇跡や超能力については個人的には真実なのかどうかは、

私には結論は出せませんが、

社会のために貢献したという面では聖者といってもいいのではないかと思っています。

 

 

母の夢を見る

パソコンの調子が悪くなってしまい、

ブログをご無沙汰してしまいました。

やっとパソコンが直ったのでさっそく記事を投稿します。

 


先月の中頃、母の夢を見ました。

私と母と2人で地元商店街の坂道を上に向かって一緒に歩いていました。

母は亡くなる前頃(90歳代)の年齢で、髪は白髪でした。

 

 

私は母の体を支えるようにして一緒に歩いているんですが、

もうすぐで商店街の坂の上に出るという所で 、

母が寝床から出たままのような下着姿だということにそこで初めて気がつき、

これはまずいと思い、早く家に連れて帰らなければと焦りました。

幸い、他の通行人とは会わなかったんですが、

商店街から家に戻ると、他の通行人に会いそうなので、

商店街の上の方の左に別れている道 (実際にその坂道はあります)の方に行き、

その道はあまり人通りがないので、そこから家に帰ることにしました。

 

 

家に帰っているんですが、

現在住んでいる家のある方ではなく、

子供の頃住んでいた町の方角に向かっているのです。

しかし、その子供の頃住んでいた住宅街も過ぎて行き、

同じく子供の頃、知り合い一家が住んでいた家に向かって歩いていきました。

 

 

そこで、その道を歩きながら私は

介護をする時に気配りや配慮が足りなかったことを母に詫びたのです。

すると、母は笑いながら、「そんなことはいいよ」などと言ったのですが、

すぐそれにつけ足すように「でも、少しはそう思っていたけど」

というようなことも、 やはり笑いながら冗談のように言ったのです。

そこで目が覚めました。

 

 

母の介護をしていた時、

充分に心を配れなかったということが悔やみとして残っていて、

今でも母にはすまないという気持ちでいます。

だから母と直接会って詫びたいと思っているのですが、

そういう思いがこの夢として顕れたのだろうと思います。

 

 

今回の夢では本当にあの世で母に会ったのだろうと思っていますし、

そう思いたいです。

 

私が詫びた時、母は「そんなことはいいよ」と笑いながら言ってくれましたが、

すぐその後で「でも、少しはそう思っていたけど」とも言いました。

確かにそれは母の本音なのだと思いますし、

不満もあっただろうと思います。

 

 

ですが、笑いながら冗談のように言ったので、

そのことは許してくれてるんだと思います。

 

怒っている様子もなく、不満げな様子もなく、

笑顔で笑いながら言ってくれたので

目が覚めた後、何だかホッとしました。

 

 

 

死後世界地図の考察④

フランチェッツォの霊界通信、

今回は霊界の仕組みについての報告です。

その中で、霊界には仕事や学びのための学校があるということが紹介されています。

あの世にも仕事があるというのは丹波哲郎氏も言っていましたが、

もちろん、仕事といってもこの世と違って生活のためではなく、

魂のレベルを上げることが目的で、

人の役に立つことをすることによって、

自分も魂のレベルが上がっていくというのです。

 


フランチェッツォの場合は、

地獄など下層世界にいる霊を助け出すグループに入って

援助の手を差し伸べるという仕事をしています。

 

また、あの世の学校については、

霊界の構造や仕組みなどについて学ぶのだそうで、

それも義務教育というわけではなく、

学ぶも学ばないも学習の進み具合も自由なのだそうです。


私も真理についてあの世で徹底的に学びたいと思っているので、

こういう学習システムがあるのは嬉しいですね。

中でも「オカルトサイエンス」や「霊界における不思議な現象」

についての学習もあるそうなので、

そういうことに興味がある私はそれもじっくり研究したいです。

 

学べる時間は無限にあるということなので、

私はもう現世に生まれ変わらずに、

永遠に学び研究し続けようと思っています。

 

 

 

 

 

死後世界地図の考察③

フランチェッツォの霊界通信、

今回は霊界構造以外の興味ある報告を紹介していきます。

その中で、まず生まれ変わりについて書きます。

 

江原啓之氏や高橋信次氏などを始め、

多くの霊能力者は魂のレベルを上げるための修行として、

この世に生まれ変わってくると言っています。

 

あの世でも修行はできないことはないが、

この世と違って行為の結果がすぐ現われるので

あまり修行にならないということでした。

 

それに対して、フランチェッツォの報告では、

この世への生まれ変わりは多くの霊にとって進歩の法則ではあるが、

全ての霊が経験することではなく、この世に生まれ変わるかどうかは、

その霊の守護霊の考え方によるということです。

 

つまり、それぞれの守護霊によって修行方法に違いがあり、

この世に生まれ変わらない修行方法もあるということです。

 

もうこの世には生まれ変わりたくないと思っている私にとっては、

この世に生まれ変わらなくてもいい修行があるのなら、

その方が良いと思っていますが、

では他の修行方法にはどういうものがあるのかというと、

他の学派では、この世に生まれ変わらせるのではなく、

あの世の下層世界(地獄)に送って、

そこで修行をさせるという修行方法もあるそうです。

 

この世は肉体による苦しみなどがあり、

あの世に比べて大変な世界だと思いますが、

それでもこの世には悪人だけでなく善人もいるので

苦境の時に善人に助けられるという利点もあります。

 

それに対してあの世の地獄界には善人がいなくて悪人しかいないので、

善人に助けてもらえるということもなく、

また、この世では苦しみが間断なく続くわけではなく、

息抜きもできたりしますが、

あの世の地獄界は間断なく苦しみが続く世界だということなので、

息抜きもできず、ずっと苦しみが続くのではないかと思われます。

 

そういうことを考えると、この世に生まれ変わる方が良いのか、

あの世の下層世界で修行するのが良いのか判断できないですね。

 

 

死後世界地図の考察②

フランチェッツォの霊界通信、

前回は「地表の霊界」と「地獄」など地下の世界を解説しましたが、

今回は上の世界を紹介します。

 

霊界の分け方も指導者によって違いがあるということで、

フランチェッツォの指導霊によれば

霊界には下から上に向かって7つの領域があり、

上の世界に行くほど魂のレベルが上がって

素晴らしい世界になって行くということ、

そして、7つめの領域が、聖書に書かれてある天国であるとか、

それぞれの領域に12のサークルが存在すると説明しています。

 

また、霊界の第1の領域から第2の領域に上がる時は

深い眠りに入る第2の死があるそうです。

 

フランチェッツォは全ての霊界を見て廻ったわけではなく、

霊界通信も旅の途中で終わっているので、

あの世の全貌はこの本では分かりませんが、

例えば、江原啓之氏の言う霊界観と比較すると、

フランチェッツォが第1の領域から第2の領域に上がる時に

第2の死を通り抜けたというのは、

幽体を脱ぎ捨て第2の死を通過して幽界から霊界に上がるという

江原啓之氏の霊界観に相当するように思えます。

ただ、フランチェッツォの第2の死は

幽体を脱ぎ捨てたわけではないので、違うようにも思えます。

 

 

また、霊界の領域のいくつかまでは

江原啓之氏が言う幽界に相当するようですが、

江原氏が言う霊界はどの領域からが相当するのかというのは

よく分からないです。

 

 

そのように、あの世の世界観はそれぞれに違いはありますが、

共通しているのは、恨み憎しみを捨てて人を赦し、

物欲・名誉欲などを捨て自己中心主義や利己主義を克服してゆくほどに

魂のレベルが上がり、住む世界も住みやすい素晴らしい世界へと

上がっていくということで、

それが真理だから共通しているのでしょう。

 

次回はフランチェッツォの霊界通信で、

この他の興味ある部分を考察していきます。

 

 

死後世界地図の考察①


『死後世界地図』で、フランチェッツォが

霊界通信してきたあの世の様子ですが、

あまり詳しく書くと出版社への営業妨害になるので

大まかに書いていきます。

 

まず、霊界の構造を含めて、真理の全貌は

高級霊である霊界の指導者でさえよく分からず、

指導者によっていくつもの説に別れているそうです。

私はあの世に帰ればすぐ真理の全てが分かるか、

あるいは高級霊に聞けばすぐ分かるのだろうと思っていたので、

これは意外に思いました。

それほど真理というものは深遠なものであるということなんでしょうか。

 

それで、霊界の構造についてですが、

これも霊界の指導者によっていくつもの説に別れているということです。

確かに、あの世の階層の表現は霊能力者によってそれぞれに違いがあります。

江原啓之氏は、大まかに言えば、この世の現世は「現界」で、

亡くなったあと現世とあの世の間の「幽現界」にしばらく留まり、

その後、自分の死を受け入れてあの世の「幽界」に行くと言っています。

同じ「幽界」でも最下層部は「地獄」と呼ばれている世界になります。

そして、あの世では魂のレベルが上がるごとに、

下から「幽界」「霊界」「神界」へと上の世界に上がっていくと説明しています。

 

それに対して、高橋信次氏は次元構造をもっと細かく分けて、

あの世の階層は下から上へ、

四次元地獄界

四次元幽界

五次元霊界

六次元神界

七次元菩薩界

八次元如来

九次元宇宙界

というように表現しています。

 

これ以外にも、いくつもの分け方があります。

そういえば、『真相を霊視してゆっくり解説』では

「幽玄界」という表現をしていますが、

これは江原啓之氏の「幽界」に相当するようです。

いずれにせよ、どのような分け方であっても解釈の違いであって、

間違いではないということのようです。

 

それではフランチェッツォはどのように表現しているかというと、

まず、死後、しばらく留まる世界が「地表の霊界」で、

これは江原啓之氏の「幽現界」に相当します。

そして、地下の最下層に「地獄」があり、その上の世界に、

「地獄」ではないが、身勝手に生きた人々が行くいくつかの世界があります。

これはキリスト教で説く「煉獄」のような世界だということです。

これらの世界も地下の世界になります。

 

フランチェッツォはキリスト教的世界観の影響で、

「煉獄」のような分け方の解釈をしていますが、

江原啓之氏も高橋信次氏も共に、それらの世界も

「地獄」の世界として表現しているようです。


他の世界の考察は次回でということで、今回はここまでにします。

 

 

霊界の世界観の違い

あの世の世界の実在を私は信じて疑いませんが、

ただ、霊界の様子は大まかな所は共通していても

細かい所では、それぞれの霊能者によって、

それぞれに違いがあるようです。

 

スピリチュアル思想に出会った初めの頃は、

霊界が真理として実在しているのなら、

どの霊能者でも言う事は全て同じ内容になるはずだが

と思ったりもしてましたが、

しかし、スピリチュアル思想を学んでいくうちに、

霊界は想念の世界だから自分の信じている宗教の世界観などの影響によって

人それぞれに違いが出てしまうということが分かってきました。

 


だから霊界通信などによるあの世の様子や世界観が

他の世界観と違うからといって、それを間違いだとか嘘だとは言えないということです。

 

それで、私はこの前まで『誰も書けなかった死後世界地図』という本を読んでいたんですが、

 

 

 

この本は19世紀末のイギリスの霊媒A・ファーニスが書いた

『スピリットランド』という本を要約した内容の本で、

同じ19世紀のイタリアの貴族フランチェッツォが死後、

自分の霊界での旅の様子を現世の人々に知って欲しいと願って

霊媒ファーニスに詳しく語り、それをファーニスが『スピリットランド』として出版したものです。


フランチェッツォが体験したという霊界の様子も

大まかな所では他のスピリチュアル思想と同じなんですが、

やはり細かい所では違いもあります。

その他にも、フランチェッツォの語っている霊界の様子には

興味深い点も多々あるので、次回からしばらく『誰も書けなかった死後世界地図』について

考察していこうと思います。

 

 

妖怪について


私は子供の頃から水木しげる氏の漫画のファンで、

ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』などで

妖怪というものを知りました。

ただ、それでも、妖怪というのはあくまでも、

不思議に思える現象を妖怪というものによって表現しただけの、

想像上の存在なのだろうと長い間考えていました。

つまり、妖怪は人間の想像の産物であり、

実際には存在しないものだと思っていたのです。

 

それが、スピリチュアル思想に出会ってから、

特に高橋信次氏やその系統のGLA系の思想によって、

あの世の裏世界にいるのが妖怪と呼ばれている存在だと

知るようになったのですが、

それでも、普通の人間の霊と妖怪はどう違うのか、

なぜ、人間の霊と妖怪という違いがあるのかなど

納得のいかない所がありました。

 

GLA系によれば、人類とは違う星から地球に連れてこられたのが

妖怪と呼ばれる存在だというように説明していますが、

何だか、あまりにファンタジーっぽくて、

作り話ではないかとも思っていました。

 

しかし、近頃見るようになった『真相を霊視してゆっくり解説』でも

妖怪は存在すると言っているので、

今では、やはり妖怪は実際に存在するのかと思うようになっています。

 


そういえば、妖怪ではないですが、

テレビでも芸能人が、小さいおじさんを見たという話をよくしてますし、

小さいおじさんは妖精だと江原啓之氏も、『ゆっくり解説』でも言ってるので、

妖精が存在するのなら妖怪も存在するのだろうと近頃は考えています。