スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

「思考は現実化する」について思うこと

こんにちわ、光です。

 きょうはスピリチュアル系でよく聞く

「思考は現実化する」や「引き寄せの法則」について考察してみたいと思います。

スピリチュアルではよく「思っていることは必ず実現する」と言っています。

思っていることは実現するので、善いことを思い、

悪いことは考えないようにした方がよいという理論です。

私はスピリチュアルを信じているのでそれはそのとおりだと思っていますが、

ただ、この法則はそれほど単純でもないのではないかということも近頃は感じています。

前回記事に書いたある宗教では

「思ったことだけが実現する」と説いていますが、

そこから理論を展開して、

例えば旅行に行く時は持病の薬や乗り物酔い止めの薬を持って行くなと言っています。

なぜなら、持病の薬や乗り物酔い止めの薬を持参して旅行に行くというのは、

それは「持病が起きるかもしれない」とか

「乗り物に酔うかもしれない」

という思いがあるからで、

そういう気持ちが旅先で持病を引き起こしたり乗り物に酔ってしまうことになるからであると説明しています。

逆に持病の薬や乗り物酔い止めの薬を持っていかないというのは

持病や乗り物酔いへの不安感がないということであり、

そういう不安を抱いてないから持病も乗り物酔いも起きないのだと結論づけしています。

しかし私が思うには、この考え方はあまりに能天気過ぎるのではないかと思いますね。

旅行に持病の薬や乗り物酔い止めの薬を持って行かないなら

持病や乗り物酔いは絶対起きないとは言えないでしょう。

その宗教の言うとおりなら、

例えば傘を持たないで外出すれば絶対雨は降らないということになりますが、

私の経験から言っても、そんなことはないです。

天気予報で「晴れ」となっていたので安心してふとんを外に干し、

 傘を持たないで外出したらすぐ雨が降ってきて慌てて家に戻ったこともあります。

また、阪神淡路大震災についても、

当時、私は関西地方に住んでましたが、

「関西では大きな地震は起きない」という考え方が関西では一般的でした。

それは気象庁地震学者なども東海地方や関東地方での巨大地震への備えを強調していて、関西地方はノーマークだったこともありますし、

霊能者や占い師の中には阪神淡路大震災を予言していた人もいたようですが

(参考⇒阪神大震災をぴったりと予言した占い師 震災後44日~50日目(№25) | 松葉博雄の社長研究室

霊能者や占い師の多くはそういう予言を公表してなかったということもあります。

なので、関西に住んでる人の多くは

まさかあんな巨大地震が起きるなどとは思いもしてなかったのです。

そのため、関西在住者には地震保険を掛けてなかった人が多く、

地震後、火災保険金を保険会社に請求したところ、

地震保険を掛けてなかったため損害額の満額を受け取れなくて、

「きちんと説明してくれなかった」として、

保険会社と紛争になった人も多かったようです。

 その宗教の言うとおりなら、

関西に住んでる多くの人は巨大地震が関西に起きるなどとは思ってなかったのですから、阪神淡路大震災は起きなかったはずです。

しかし現実は起きてしまいました。

 こういうところが「思いは現実化する」というのはそんな単純なものではないと思えるところなのです。

 

 

 

もしあの世に地獄がなかったら

こんばんわ、光です。

この前ブログを書いてから1ヵ月経ってしまいました。

つい気を弛めるとブログ記事を書くのを忘れてしまいますね。

ところで、あの世の思想について、

あの世には天国はあっても地獄はないと言ってる宗教があるようですが、

それはあり得ないと思います。

まあ、あの世に地獄がないというのが本当なのなら、

私などは助かるなあと思えて歓迎できるんですが、

ただ、あの世に地獄がないなら、

この世で修行しても意味がないのではないかと思ってしまいますね。

この世でどんな極悪非道なことをしても、

死後は地獄に堕ちることもなく天国に行けるのなら、

そして、そんな思想が真理としてこの世に弘まってしまったら、

この世の人間社会は悪のやりたい放題になってしまうのではないかと危惧してしまいます。

それでも、実際には人間は悪を憎む気持ち、善を好む気持ちがあるから、

あの世に地獄はないという思想が弘まったとしても、

この世に悪をやりたい放題の悪人があふれかえるということはないという人もいるかもしれませんが、

ただ、人間は一旦堕落しだすとそれが当たり前のようになって止まらなくなってしまうという一面もあるので、あまり楽観的に考えない方がいいのではないかと思います。

確かにスピリチュアルでは、

地獄はもともと神が創ったものではなく、

人間の悪想念によってできた場であると説いていますが、

しかし、神が創ったものではなく、

もともとは存在してなかったものではあっても、

人間の悪想念によって地獄という場が存在しているのなら、

あの世に地獄はないとは言えないでしょう。

 あの世に地獄がないなら死後の自分の行き先を心配しなくていいから

その方が良いとは思いますが、

多くの霊能者や霊界研究家はあの世に地獄はあると言ってるのですから、

それが真理として正しいと思いますね。

 

 

 

霊能力と超能力の違い

こんばんわ、光です。

念の力によって通常では不可能なことを行なう能力のことを超能力と言ったり霊能力と言ったりしますが、超能力と霊能力はどう違うのか。

私は以前はその違いがよくわかってなかったのですが、ネットで調べてみると、

次のような違いがあるようです。

 

 超能力(サイキック)は、肉体の五感の延長にある“物質次元の能力”である(第六感とも言 
われる)。そしてそれは、すべての人々に可能性として内在している。しかし文明の進化ととも 
に退化し、今日ではごく一部の人々においてのみ発揮されているにすぎない。現在の地上で 
は、ヨガ行者や呪術者、宗教の修行者という極めて特殊な人々が、厳しい訓練の結果、この 
能力を発揮しているのである。サイキック能力は地上人の肉体の運動能力に差があるのと同 
様、個人差が大きい。 
 一方、霊能力(スピリチュアル)は、霊界にいる霊が関与することによって引き起こされるもの 
で、サイキックとは根本的に異なる。肉体とは全く無関係な能力であり、純粋に霊界の霊の力 
によって発揮されるものである。たとえば霊界の医師が地上の心霊治療家を通じて治療した 
り、また霊界の高級霊が地上の霊媒を介して霊訓をもたらしたりすることなどは、この霊能力 
である。 

 

 参考⇒『二種類の超常現象 超能力と霊能力

簡単に言うと、超能力は人間に本来的に具わっている能力で、霊能力は霊の力によってもたらされる能力ということのようです。

具体的な違いを言うと、念力で物を動かしたり中身の見えない物を透視したり未来を予知したりするのは超能力で、

死者の霊体が見えたり死後の世界(霊界)を見ることができるのは霊能力ということになるようです。

例えば、ユリ・ゲラーはスプーンを曲げたり壊れた時計を念力で動かしたりしてましたが、霊視などはできてなかったので、超能力者ではあっても霊能者ではないということになるんでしょう。

ところで、UFOなどは霊的存在ではなく完全に物質的存在だと思うんですが、

超常現象の番組で、UFOは人によって見える人と見えない人がいると言ってました。なぜ物質的存在のUFOが見える人と見えない人がいるのか。

UFOが見えるのは超能力なのか霊能力なのか。

そこのところがよく分からなかったんですが、

こちらのサイト⇒スピリチュアルNORIではその謎を説明しています。

それによると、高度に進化した知的生命体は精神性も高度に進化しており、

その高い精神性によって住んでいる世界も高次元の世界に移行しているため、

普通は低次元の3次元に住んでいる我々には見えにくいというのです。

つまり、高度に進化した知的生命体はもはや霊体のような存在になっているということになるわけです。

そうなると、肉体を持っていてももはや霊体のような存在だというのでしょうか。

そしてそうなると、この世を生きているのかあの世を生きているのかよく分からない存在ということになりますね。

今まではUFOや宇宙人などと霊や霊界といったスピリチュアリズムは別ものと思ってましたが、UFOや宇宙人はスピリチュアリズムとも関わってくることになるんですかね。

それは以前から考えていたことなんですが、

宇宙人にも魂があるはずだから、宇宙人が肉体の死後に還るべき霊界もあるんだろうなとは思ってました。

しかし、魂の次元が違うのなら通常は我々地球人とは霊界で顔を合わせることはないのかもしれないですね。

イエス・キリストや釈迦など高度な次元にいる高級霊なら宇宙人の霊とも交流しているのかもしれないですが。

そこのところはまだよく分からない部分です。

今回はテーマのタイトルとずれてしまいましたが、

この内容についてはまた別の日に書いてみたいと思います。

 

 

霊としての能力には個人差があるのか

こんばんわ、光です。

死者の霊はしばしば生きている人間にその霊力を見せつけてくるようで、

音を出したりとか物を動かしたりとかして驚かせたりするようです。

ポルターガイスト現象と呼ばれているのがそれで、

ほとんどは成仏できてない低級霊によるものだそうですが、

それについて私は疑問を持っていました。

 死者の霊はさまざまな霊能力を使いますが、

それはどの霊にも全てできることなのかということなんです。

生きている人間の場合だと、さまざまな能力には個人差があります。

頭の善し悪し、運動能力、才能などなど、

それぞれに個人差があるものです。

では死者の霊の場合も、その霊としての能力には個人差があるのかないのか。

死んで(もちろん肉体の死)肉体から離れると誰でも一様に同じく霊としての能力を使えるのかどうか。

現世を生きている私は運動能力が低くスポーツが苦手で頭も良い方ではなく、

特に際立った才能もない平凡以下の人間なんですが、

そんな私でも肉体から出て霊そのものになると、

ポルターガイスト現象などを起こせるのかどうか。

そういう能力を使えるようになるのかどうか。

そこのところに疑問を持ってました。

それで以前には、自分が死んだ時、自分でもそんな能力が使えるのかどうか試してみたいという気持ちがありました。

しかも、あの世に還る前の幽現界にいる間に試してみたいと思ってたんです。

あの世に還ってからだと、あの世では物質のない念だけの世界なので、

そういう念だけの世界では霊能力を使えるのは当たり前であり、

そういうところで霊能力を試してみても意味がないので、

死んだ直後、まだ幽現界にいる間に実験してみなければわからないので、

幽現界にいる間にやってみたいと、そう思ってたんです。

そう思ってたんですが、考えてみると、ポルターガイスト現象など起こすと、

現世で生きている人を驚かせたり怖がらせたりする結果になってしまいます。

悪霊と違って別に悪意はなくても、実験のつもりで現世を生きている人の周りでそういう霊能力を使って物を動かしてみせたり音を出してみせたりすると、

怖がらせて迷惑をかけてしまうことになってしまうと、そういう考えが起きてきて、

やはりそれはまずいと思うようになって、そういう実験はしない方がいいだろうと思い直しました。

まあ、別にあの世で霊としての能力を普通に使えればいいわけですから、

何も物質の世界に対して霊能力の強弱の程度を実験する必要もないわけです。

そんな余計なことをして自分が悪霊のようになってしまったんでは何にもならないわけです。

確かにそういうポルターガイスト現象を起こすのは低級霊だということですから、

自分が低級霊にならないためにはそんなことはしない方が良さそうですね。

 

 

 

 

あこがれの涅槃寂静

こんばんわ、光です。

スピリチュアリズム普及会ではイエス・キリストを高く評価していて、

釈迦を低く見ている印象を受けますが、

雲黒斎さんの『あの世に聞いた、この世の仕組み』では釈迦の教え、仏教の思想を高く評価している印象を受けます。

その仏教の思想の中で、「涅槃(ニルヴァーナ)」という言葉があります。

涅槃の意味にはいろいろな解釈があるようですが、

基本的には「煩悩を滅して苦しみから開放されること」、

そして、「輪廻転生の苦しみから脱して安らかな境地になること」で、

これが仏教の目的だということです。

若い頃、家の宗派でそういう仏教の講義を聞いた時、

「輪廻転生しないでこの世に生まれ変わることがなくなったら、人生で成功することなど、この世での幸福な人生を体験できなくなってしまうだろう。そんな境地になって何が楽しいのか、何が幸せなのか?」と思っていたものでした。

当時は若かったので、この世に生まれて成功の人生を歩み、さまざまなこの世での願望を叶えていってこそ幸福なんじゃないのかと、この世的な視点で考えてたんですが、

今は、この世に生まれ変わることなく、あの世の安らかな世界に居続けることが幸福だという考えに変わりました。

少し前にも書いたように、来世以後はもう2度とこの世に生まれたくない、

ずっと霊界に住み続けたいと思っているところですし、

まだ魂の修行が終わってなくても、あとは他の類魂にバトンタッチして、

自分はもうこの世には生まれ変わらないと決めています。

仏教で言う涅槃寂静の状態こそ苦しみから脱した幸福な境地で、

それこそ目指すべき境地なんだろうなと今では思えますね。

ただ、そのためには、自分の我欲や煩悩など執着を捨てるという心のトレーニングが必要ですが。

 

 

GLA系教団の教理は正しいのか

こんばんわ、光です。

高橋信次氏を始めとする、いわゆるGLA系の新宗教(あるいは新新宗教)では、

あの世の世界を九次元に分け、

九次元にいる最高大霊として、

エル・ランティやエル・カンターレなどの存在を説き、

あるいはアガシャー系霊団などという表現をしていますが、

このような表現はGLA系以外のスピリチュアル思想では見かけません。

丹波哲郎氏にしても江原啓之氏にしても美輪明宏氏にしても、

そういう表現はしてないですし、

ブログ『あの世に聞いた、この世の仕組み』の雲黒斎氏も

そういう表現はしてないです。

つまり、エル・ランティとかエル・カンターレとかアガシャー系霊団などというのは

GLA系にしかない考え方だということになるようです。

その点についてスピリチュアリズム普及会はどういう見解を持っているのか

サイトを見てみると、スピリチュアリズム普及会ではGLA系のそのような思想を否定しているようです。

スピリチュアリズム普及会の詳しい見解は次のようになっています。

スピリチュアリズムから見た新新宗教

 

つまり、スピリチュアリズム普及会によれば、GLA系が言っているエル・ランティやエル・カンターレアガシャー系霊団などは実際には存在しない架空の話だということになるようです。

ただ、それでも、高橋信次氏については「GLAはきわめて良心的」だとし、

さらに「稀に見る偉大な霊能力者でしたが、それだけに止まらず実に誠実な宗教者でもありました。彼の霊能力ならびに人格、そしてその教理から判断すると、彼はまさしくスピリチュアリズム高級霊の働きかけを受けていたと思われます。おそらくは、彼は明治以降最大の使命をもって現れた日本人であると言ってもよいでしょう。」と称賛しています。

しかし、そんな高橋氏も誤解による間違いを犯してしまい、その結果として高橋氏の没後すぐに教団が分裂するという事態になってしまったというのです。

しかし、それでも「一歩間違えるとこの世の醜い教祖に転落寸前の状態にありましたが、彼の場合は、その誠実な人間性がそこまで至らしめることを阻止」し、

幸いなことに高橋氏の優れた人間性が、GLAが地に堕ちるのをギリギリのところで食い止めました。また彼が50歳前にしてこの世を去ったということが、結果的には幸いして、霊的堕落への歯止めがかけられた」というのです。

確かにその後のGLA系の教団の現状を見ていると、それは言えるかもしれないですね。

たとえ高い霊的レベルの人でも、この世では間違うことも多いということなのでしょう。

尊敬できる人物であっても全てを信じてしまってはいけないということのようです。

 

 

 

 

この世では高級霊も間違う

こんばんわ、光です。

以前にも書いたと思いますが、

私は高橋信次氏から大きな影響を受け、

高橋氏を霊能者としても宗教家としても高く評価していますが、

それでも高橋氏を絶対視はしていません。

それは、たとえ霊的に高いレベルの人物であっても、

この世に生まれたら全てを正しく認識できるわけではなく、

間違うこともあるからです。

例えば、高級霊シルバーバーチの霊言を弘めている「スピリチュアリズム普及会」も

高橋信次氏を、霊能力者としても人格者としても高く評価してますが、

それでも説いていた内容について間違っていることがあることを指摘しています(自身が最高大霊エル・ランティであることを自認していたことや、異言を語るのを過去世の言葉を語っていると間違ってしまったことなど)。

私には高橋氏が語っていたことが間違いなのかどうなのかは分かりませんが、

確かに肉体に入って人間としてこの世に生まれたなら、全てを間違いなく認識することは難しいだろうと思いますし、間違いも犯すだろうとは思います。

だから有能な霊能力者であっても宗教家であっても、

それぞれに言ってることに違いがあったりするのは

そういうことなんだろうと思います。

だからこの世では特定の宗教家や霊能者の言ってることを丸呑みに信じてはいけないわけです。

どんなに正しいことを言ってるようでも、正しい行ないをしているようでも、

間違ってるところもいくつかはあるというくらいに思っていた方が丁度良いのではないかと思ってます。

そんな中、私はスピリチュアルに関して、スピリチュアリズム普及会は信頼できると思ってたのですが、そのスピリチュアリズム普及会も、以前に江原啓之氏をニセ霊能者呼ばわりして批判していたことがあり、それを第三者から批判されるということがありました。

例えばYahoo!知恵袋ではこういう指摘があります⇒

江原啓之氏が、スピリチュアリズム普及会(旧心の道場)という... - Yahoo!知恵袋

高級霊シルバーバーチは決して個人を批判しなかったそうですが、

そのシルバーバーチの霊言を弘めているスピリチュアリズム普及会が、

テレビで活躍していた江原啓之氏をニセ霊能者呼ばわりして個人攻撃していたというわけなのです。

確かに、江原氏に対する批判には感情的な気持ちが感じられますね。

高級霊シルバーバーチの霊言を啓蒙しているスピリチュアリズム普及会もまたこの世に肉体を持って生まれた人間なのですから、やはり何らかの間違いはあるということなんですね。

どんな正しいことを伝えようとしていても、完璧にはいかないということなんでしょう。

それはもちろん江原啓之氏も同じで、非の打ち所もなく完璧に正しいというわけではなく、何らかの間違いもあるのかもしれないですね。

そこがこの世の難しいところだと思います。

なので、この世では何でもそうですが、特定の人物や団体などを完全に信じ切るのではなく、間違うところもあると思っていたほうがよさそうです。

 

 

 

 

 

仏教の輪廻転生観

こんばんわ、光です。

現在の日本仏教では霊供養などを行なっていて、

霊が存在するのを前提にしているような風潮ですが、

しかし、教義的には、霊の存在を否定しているのも仏教なんですね。

私の家の宗派では「釈迦は霊魂の存在を徹底的に否定した」というように学んだ覚えがあります。

なぜ教義では霊を否定してるのかというと、

仏教は伝統的に自我の存在を否定しているからだそうです。

霊という存在があるということは

自我というものが存在していなければならないと思いますが、

仏教経典には「無我」と説かれていて、本来「自我」というものは存在していないことになってるそうです。

しかしそれでも仏教では生まれ変わりを認めています。

生まれ変わるのなら、生まれ変わる主体がなければ生まれ変われないと思うんですが、

では主体としての自我が存在しないのになぜ生まれ変わるのかというと、

人が生きている時に行なった業(カルマ)によって、主体がなくても次の生(来世)に業が引き継がれて生まれ変わるといった解釈をしているようです。

ただ、私はこの仏教の輪廻転生説は無理があるように思います。

スピリチュアリズム普及会の 『スピリチュアリズム・ブックス』でもその矛盾点を次のように書いています。

不思議に思われるかもしれませんが、シャカ本来の教えには、霊魂とか霊界といった“永遠的実在”は存在しません。仏教における「輪廻はあるが、輪廻の主体となる霊魂といった独立自我はない」という考えには、常識的に言って大きな矛盾があります。不変的な“独立自我”というアイデンティティーを認めてこそ、生まれ変わりが理論的に成立するからです。独立自我はないのに生まれ変わりはある、という矛盾した輪廻観を合理的に説明しようとしてシャカの死後、弟子たちによって難解でこじつけとも思えるような説が唱えられることになりました。

仏教の思想は長い歴史の間に変化していったということも考慮しなければならないようです。

家の宗派では「釈迦は霊魂の存在を徹底的に否定した」と言ってましたが、

その後いろいろと仏教書を読んでいたら、釈迦はもともと霊の存在を「ある」とも「ない」とも断定してなかったようですね。

霊は存在するのかとかあの世はあるのかなどという見ることもできず考えても分からない事柄は解脱に役立たないから質問されても答えないと言ってたそうです。

それが「霊魂の存在を否定した」と解釈されてしまったということのようです。

ただ、それならそれで、教義上は霊の存在を否定して、実際には霊の存在を認めているという仏教には矛盾を感じてしまいます。

いっそのこと、「霊魂は存在する」と教義を変えてしまった方がいいと思いますがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

独我論について

こんばんわ、光です。

今回は少し難しい話になりますが、

哲学の認識論の中に「独我論」というものがあります。

ウィキペディアによると、「自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする立場」だということで、

その独我論にもいくつかあり、その中の1つに、

「心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場」というものがあります。

つまり、自分独りのみが世界に存在していて、自分以外のものは存在していないという世界観なのです。

なぜここで独我論について書いたかというと、

実は私が小学6年生の頃に、そのことを思ったことがあるからなんです。

よく一緒に遊んでた友達がいたんですが、ある時、ふと、

自分は友達を見ているが、自分自身は鏡などに映さない限り自分を見ることはできない。いつも、見る景色は自分の目を通して見ていて、自分自身を客観的に見ることはできない。

というような考えが浮かんだのです。

それは当たり前の話なんですが、その時は、それが不思議に思えて、

なぜいつも自分の視点なのか、なぜあの友達の視点からこの自分を見れないのか、

などという考えが浮かび、

それから、もしかして、今見ている自分だけが存在していて、あの友達も、それ以外のものも、とにかく自分以外のものは本当に存在しているのかどうか、

などと考えていったのです。

小学生の頃なので、ここに書いたような難しい言葉では考えませんでしたが、

そういう内容のことを思ったわけなんです。

別に小学生の頃から哲学的な考察をしていたわけではなく、

ふとそういう考えが浮かんだというだけのことで、

その時はそれ以上深く考えることもなく、忘れていったのですが、

もし、あの時その疑問を考え続けていたら、その後哲学者になってたかなとも思ったりしてるんですが、残念ながら、その後も深く考えることもなく、凡庸な人間になってしまいました。

ただ、大人になってからも時々その時のことを思い出しては、

あの頃はあんなことを考えたことがあったなと懐かしむ程度だったのです。

それでずいぶん後になって、哲学を少し噛じるようになってから、

自分が考えてたのは独我論だったんだなと気がついたわけなんです。

 私は哲学者ではないので、独我論が正しいか正しくないかと議論するだけの知識もないですが、普通に考えれば、独我論は実際には成立しないと思えますね。

スピリチュアルの立場から見ても独我論は成立できないでしょう。

もし、この世界に自分の精神だけが存在していて、自分以外の誰もが全て実在していないというなら、人を傷つけたり殺したりしても地獄に堕ちることもないわけです。

普通に考えても独我論はただの戯言でしかないと思えますね。

また、自分の認識とは無関係に自分が知らないところで、自分の知らない人々が生活していて、さまざまな事件など起こしたりしてるわけですから、

自分1人の世界観では説明できません。自分が認識しようがしまいが、

他者は存在し活動し、世界は動いているというわけです。

自分以外に多くの魂が存在しているのは確かだと思いますね。

 

 

 

 

 

 

霊視か? レビー小体型認知症か? その3

こんばんわ、光です。

気がついたらもう4月も終わりになりますね。

この前、久しぶりにアカウントのメールサービスを開いたら、

ここのはてなブログさんから

「そろそろ次の記事を投稿してみませんか?」

というメールが来てました。

以前使っていたはてなダイアリーの頃は長い間記事を書いてなくても

そういうメールは来てなかったので驚いてます。

それはともかく、

少し前にNHKEテレの健康の番組で、

レビー小体型認知症について放送してました。

それによると患者は国内で50万人以上いるようです。

うちの母もこの症状が出てるのかとも思いますが、

ついこの前も、夜寝てる時、同じ部屋で寝てる母が

「誰か入ってきてる」と声を出してました。

まだ眠ってなかった私が母が指差す出入り口辺りを見ても誰もいません。

話を聞くと、この前母が見たという男の人物像のようです。

霊視なのか認知症による幻視なのか、

見極めが難しいです。

 

 

 

 

 

霊視か? レビー小体型認知症か? (母の場合)

前回、レビー小体型認知症について書きましたが、

それだと、私の母もそうかもしれないですね。

これまでもこのブログに書いてきたように、

母は霊感が強いようで、度々霊らしきものを見るんですが、

しかしそれも実際は霊ではなく、 レビー小体型認知症かもしれないとも言えるわけです。

ついこの前も、部屋の明かりを消して寝たんですが(母の介護をしてるので、同じ部屋に寝ています)、眠る前に母が何か言ったので聞き返すと、

私の枕元に、見知らぬおじさんが立っているというのです。

ジャンパーを着ていて、頭にはハンチングをかぶっているんですが、

下を向いて立っているので、顔はわからないというのです。

そのおじさんが下を向いたまま立っていたそうなんですが、

母が私に声を掛けたらその人物は消えたそうです。

その時も霊が見えたのかと思ってたんですが、

実は霊ではなく、レビー小体型認知症の症状だったのかもと思ってるところなんです。

もちろん、私は人がそばに立っている気配など感じませんでしたし、

それに明かりを消して部屋が暗いのに、母にはその人物がはっきり見えたというのも変ですし。

母はまだ眠ってなかったので夢ではないと言ってますが、認知症による幻覚なら部屋の明かりは関係ないと言えるのかもしれないですね。

母は年老いてきて介護が必要ですが、頭はまだしっかりしてるので認知症ではないだろうと思ってたんですが、認知症の症状も出てきてるのかもしれないですね。

しかしそれでも今までの母の霊視と思われる体験も全てレビー小体型認知症の顕れなのかというとそれは違うと思ってます。

まだ若い時から霊らしきものを見てますし、実際に霊を見てることもあると思ってます。

つまり母の場合、霊視も認知症の症状も両方あるんだと思います。

しかしそれだとどこまでが認知症による症状で

どこからが霊視なのか分かりにくいのは確かです。

本当にややこしいことです。

ただ、医学ではそこにいない人物などが見えるのは認知症の一種だと断定してますが、

実際は霊を見ているのかもしれないとも言えるわけです。

精神病は医学では脳の病気としてますが、霊能者によると、

精神病の多くは脳の病気ではなく霊障によるものが大半だと言ってるようですし、

霊の存在を否定して脳の障害としてるのは現代医学の一方的な見方でしかないとも言えるわけです。

 

 

 

 

 

 

霊視か? レビー小体型認知症か?

こんばんわ、光です。

本来そこにいない人や動物が見える場合、

その見えている人や動物は霊なのかと思ってしまいますが、

認知症でもそういう症状が出てくるそうですね。

私は近頃まで知らなかったのですが、

認知症の中でもレビー小体型認知症では

そこには存在しない人や小動物が鮮明に見えるそうなんです。

それで思い出したんですが、

3年前に90歳で亡くなった私の伯父は亡くなる数年前から

認知症グループホームに入所していたんですが、

伯母の話によると、その少し前から幻覚が見えていたそうなんです。

例えば、夜、トイレの灯りを点けっぱなしにしてるので、伯母が灯りを消そうとすると、伯父が「今、人がトイレに入ってるから電気を消してはいけない」と言っていたそうで、それが時々あったそうなのです。

それについては伯母は「ボケてるから」と言ってましたが、

私はもしかして伯父は霊が見えてるのかなと思ってたものです。

しかし、実際、伯父は認知症と認定されて入院し、その後グループホームに入ったので、認知症であったのは確かなので、

そこにいない人が見えていたのはレビー小体型認知症による幻覚だったのかとも思ってるわけなんですが、

そこにいない人や小動物が見えるというのは霊視なのかレビー小体型認知症による幻覚なのか、なかなか分かりづらいですね。

霊を否定する唯物論者からすれば霊感の強い人や霊能力者が見えている霊体は全部レビー小体型認知症の症状だと主張することでしょうし、霊の正体は認知症による幻覚に過ぎないと断定することでしょう。

例えば私に、そこにいない人の姿がはっきり見えるようになった場合、それは実際に霊が見えているのか、それともレビー小体型認知症にかかってしまって幻覚が見えているのか、なかなか判断できないと思います。

こういうところもスピリチュアル思想がなかなか科学者に受け入れられない点でもあるようですね。

 

 

 

ドナルド・キーンさんの前世は日本人だったのか

2月24日、アメリカ出身の日本文化研究家であったドナルド・キーンさんが96歳で亡くなりました。

2011年に日本国籍を取得していたそうです。

アメリカ人でしたが、日本文化を理解し日本を愛していたんですね。

やはり、このような人は前世は日本人だったのでしょうか。

そう思ってたら、キーンさんご自身も

「もしかしたら、私は前世において日本人だったのだろうか」と述べていたそうです。

それは次の記事にも現われていると思います。

 

(『リテラ』より引用(https://lite-ra.com/2019/02/post-4568.html))

 

2011年3月11日、キーン氏はニューヨークにいた。アメリカのテレビでも日本を襲った未曾有の災害の様子は盛んに報道されており、キーン氏も太平洋を隔てた遠い地からテレビにかじりついて情報収集していた。そのとき、キーン氏の心のなかに浮かんだ感情は「帰りたい」というものだったという。

『日本の美徳』のなかでキーン氏は「私は震災があったことで、日本国籍を取得しようと、ハッキリと心が決まりました。とにかく一日も早く、日本に「帰りたい」と思ったのです」と語る

 

また、同じ記事で次のような『日本の美徳』からの引用が書かれています。

「日本の国籍を取得してからは、私は日本人としてきちんと意見を言わなくてはいけないと考えるようになったのです」
「日本人になったからには、これまで遠慮して言わなかった日本の悪口も、どしどし言うつもりです(笑)」

単なる親日家ではなく、やはり前世は日本人だったのではないかと思える発言ですね。

そんなドナルド・キーンさんは、日本文化を世界に紹介し広めてくださいました。

謹んでご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

高橋信次氏について2

前回の続きです。

高橋信次氏の著書を初めて読んだ頃、

高橋氏はまだ存命中だと思っていたんですが、

しばらくして同じく図書館で高橋氏の長女・高橋佳子氏の著書

『真創世紀』三部作(地獄編・天上編・黙示編)を読んで、

そこで初めて高橋信次氏がずい分前に亡くなっていることを知ったのです。

実は最初、高橋信次氏の著書を読んで感銘を受けた時、

高橋氏が設立したGLAに入ろうかと思ったりしてたんですが、

近くにGLAに関する施設など何もなく、

どうしようかと思っていたところで、

高橋信次氏がすでに亡くなっているのを知り、

その時は慌てて入る気持ちも失せてしまったんです。

しかしそれでもそのうち機会があれば入会しようかなと思っていたんですが、

それから数年後、新聞に載っていた新宗教を解説している新刊書の広告を見て、

それにGLAのことも書かれていたので、さっそく書店で注文して読んでみたんですが、

その中で、高橋信次氏没後のGLAについても書かれてあったのですが、

そこでGLAが高橋氏が亡くなった直後いくつもの宗派に分裂してしまったということを知ったのです。

高橋信次氏の長女・佳子氏が2代目主宰者になったのですが、

その途端、自身を大天使ミカエルとして個人崇拝によるメシア信仰になってしまったそうで、それに反発した幹部や会員が離れていき、

それぞれに新しい宗派を作って別れていったというのです。

長女が2代目教祖としてそのまま順調に会は運営されていたのかと思ってたら、

大きな波乱が起きていたんですね。

何しろ当時はインターネットのない時代だったので、

高橋信次氏やGLAに関することはテレビでも新聞などでも報道されないので調べることもできず、何も分からない状態だったので、その本を読んで驚いたものです。

後から思えば慌てて入会しなくて良かったなとも思ったわけなんですが、

ただ、近頃の高橋佳子氏の著書を読んでみると、

昔の個人崇拝によるメシア信仰らしきものはなくなってましたね。

ただ、高橋信次氏の思想をそのまま説いているわけではなく、

独自の理論を構築されているようです。

それでもその土台には高橋信次氏が説いていた人間の本質としての心のあり方というものがあるようですね。

実際に入ってみないと分からないとは言えますが、

著書などから見ると、今はまともな教団になっているのではないかという印象を受けました。

ただ、もう今の私は特に宗教団体に入ろうという気持ちはないです。

丹波哲郎氏があの世に宗教はないと言い、

美輪明宏氏が「信仰は心の鍛錬、宗教は企業」と言われていたように、

宗教は人間によって運営されているものであり、

本当に正しい宗教はこの世にはないと私は思っているので、

極力特定の宗教には入らないようにしてるからです。

結局、この世に本当に正しい宗教はないので、

高橋信次氏が設立したGLAも高橋氏没後分裂してしまったのでしょう。

 

 

 

 

高橋信次氏について

こんばんわ、光です。

今回は、私がスピリチュアル思想に出会った初めの頃、

大きな影響を受けた高橋信次氏について書いてみたいと思います。

高橋信次氏は霊能力者にして宗教家で、GLAという教団の教祖になります。

初めて高橋氏のことを知ったのは、近くの図書館で『人間・釈迦』という著書を借りて読んだのが始めです。

そこから『心の原点』『心の対話』『心眼を開く』『心の指針』『心の発見』を次々に読んでいき、その真理観・宗教観に共感していきました。

 というのも、それまで自分の家の宗教(法華経系仏教教団)に感じていた矛盾点・疑問点 に対して、一宗一派的な偏狭な思想ではないもっと根源的な真理(神理)の立場に立った高橋氏の考え方と行動に共感していったからなのです。

高橋信次氏をネットで調べてみると、中には高橋氏を批判する内容の記事も出てきますが(主に5ちゃんねるや2ちゃんねる系)、圧倒的に高橋氏を称賛する内容が多いですね。

例えば次のブログを御覧ください。

 

happynet.jp

 

上のブログは高橋氏をよく知る人物の高橋氏評ですが、

このような内容を読むと、高橋氏の人間性がよく表されていると思いますし、

信頼できる人物だったと感じます。

世の中には庶民の宗教を標榜し、自分も庶民であることを宣伝している宗教家もいますが、そういう宗教家でも実は贅沢な暮らしをして信者を自分たちの都合のいいように利用してるだけという実情が多いです。

そういう中にあって高橋氏は数少ない信頼できる人物だったのではないかと思えます。

そうであったからこそ、GLAという教団は小さい規模の教団だったのにも拘わらず、その死後、今でも大きな影響を与え続けているのではないでしょうか。