スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

母を見送る

長い間ご無沙汰しています。光です。

一昨年3月に記事を投稿して以来

2年ぶりの記事投稿になります。

 

遅くなりましたが、長い間介護していた母が昨年3月に他界しました。

丁度1年前になります。

93歳でした。


食事を摂らなくなり、衰弱がひどくなってきたので
救急搬送し、病院に入院していましたが、
5日目に亡くなりました。
コロナ禍のため面会謝絶で、

最期を看取ることもできませんでしたが、
病院側の説明では入院後間もなく意識がなくなり、
最後は意識が戻らないまま、

老衰により眠ったような状態で亡くなったということで、
母が老衰で安らかにあの世に旅立つことを願っていた私としては

満足するべきところではあるのですが、
それでも、覚悟していたとは言え、

母が亡くなってこれほど悲しく気持ちが苦しくなるとは思ってませんでした。

 

お通夜、葬儀告別式、火葬と、

喪主として執り行なっている間は涙も流さず

傍から見れば淡々としているように見えたと思いますが、
内心は泣きたい気持ちでした。

 

私はスピリチュアル思想を学び、スピリチュアル思想を信じていて、
母が亡くなっても母の存在自体が消滅してしまったわけではなく、
生きる次元が変わっただけで、

今、母はこの近くにいて我々を見ているということや、
肉体から離れた母は今は苦しみから解放されて

元気になっているということを
よく解っているつもりでいたのですが、
それでも葬儀が終わって一人になると、

亡くなる少し前の母の苦しそうな様子を思い出し、
悲しい気持ち、苦しい気持ちが湧いてきて泣けてくるのです。

 

その悲しみと苦しさは母が亡くなったこと、

この世からいなくなったということよりも、
母に充分に心を配れなかったこと、

母に充分に親孝行できなかったことへの後悔の気持ちが大きいです。


あの時ああすればよかった、こうすればよかったとか、
あの時はあんなことはすべきではなかった、言うべきではなかったとか、


介護してる時、ついイライラしてきつい言い方をしてしまったこととか、
そんなことが後から後から湧いてきて、

申し訳ないという思い、後悔の気持ちから泣けてくるんです。


また、そうかと思うと、

母は他界する1カ月ほど前からよく歌を歌うようになり、
好きな曲を3曲ほど繰り返し繰り返し歌ってましたが、
その無心に歌う母の姿を思い出すと

母への愛おしさがこみ上げてきて

また泣けてくるという状態でした。

 

このままではだめだと思い、ネットでスピリチュアルサイトを次々に探しては
死後の故人がどんな状態になるか、
そして残された遺族はどういう気持ちでいるべきかなど、
自分を納得させることができるような言葉を探していきました。


ネットのスピリチュアルサイトだけではあきたらず、
江原啓之さんのまだ読んでいなかった本も数冊買って読み続けました。

 

その中で、特に江原さんの「先に亡くなった親しい人とは、必ずあの世で再会できる」
という言葉には慰められました。
そういうことも以前からスピリチュアルを学んでいて知っていることではあったのですが、
改めてそういう言葉を読むと、安心させられましたし、

安堵の気持ちが湧いてきました。

 

江原さんや他のスピリチュアリストが共通して言っていることは、
故人に対しては後悔の気持ちよりも感謝の気持ちを持つ方が大事だということでした。


後悔の気持ちばかり持っていると、

故人も辛い気持ちになり、

この世に未練が残ってすんなりあの世に帰れない、

浄化できないということです。

 

そのことに留意して、

母には毎日、感謝の言葉を語り続けています。

 

まだまだ書きたいことはありますが、

今回はここまでにします。