こんにちは、光です。
以前の記事で、霊能者の相曾誠治(あいそ・せいじ)氏の真理観について書いた時、
相曾氏によれば、釈迦やイエス・キリスト、孔子は現在五次元霊界の上の方にいて、
六次元神界を目指して修行中だということを書きました。
そして、相曾氏は釈迦が五次元霊界で止まってることについて、
「あの方は真面目(まじめ)な方ではありますが、少し性格が暗いですね」と語っていたと書きましたが、
確かにその指摘は当たってるところもあると思いますね。
釈迦はこの世は「無常・苦・無我」であると説いています。
これが「諸行無常・一切皆苦・ 諸法無我」などという仏教用語の基となっているそうですが、
つまり、釈迦はこの世の人生は全て移ろいゆくもので、
全ては苦しみであり、
全てには「永遠に固定されたもの(我)はない」と言ってるわけです。
私はその考え方は自分の人生を振り返って思うには、
真実を言い当てていると思っていますし、
自分の考えと重なるので共感を覚えます。
しかし世間一般の立場からすると、
かなりネガティブな思想だとは思います。
ネガティブな考え方は世間一般的には悪い考え方だと見なされますし、
世間一般には受け入れられにくい考え方だと思います。
相曾氏が釈迦のことを「少し性格が暗い」と言っていたのは、
釈迦の思想のそういう否定的・悲観的な考え方にあるからでしょう。
私からすると釈迦の考え方は真実を突いていると思ってますが、
世間向けではないかもしれないですね。
特に成功や幸福を目指す「ニューソート思想」が広まっている現代社会では
後ろ向きの思想だと見なされると思います。
「ニューソート思想」では前向きで肯定的なポジティブ・シンキング(プラス思考・積極思考)を良い思考としますので、
釈迦の考え方は「性格が暗い」とされるのかもしれません。
ちなみに、釈迦の時代よりもずっと後の時代に出来た大乗仏教、
釈迦の説いた「無常・苦・無我」に対して、
この世の実相は「常・楽・我・浄」であるとしています。
釈迦はこの「常・楽・我・浄」という考え方は
四顛倒(してんどう、さかさまな見方)という、
世間一般人がこの世界に対して抱いている間違った考え方だとしていましたが、
大乗仏教ではそれをまたひっくり返して、
実はこの世界の実相は「永遠不滅で,苦のないものであり,自由で束縛がなく,清らかである」と言ってるわけです。
しかし、私が思うには、
大乗仏教(特に密教系や法華経系)の説く「常・楽・我・浄」というのは
この世ではなく、あの世(霊界)の実相であって、
この世はやはり釈迦が説いていたように「無常・苦・無我」ではないかと思います。
あの世は永遠常住の真理の世界であり、真の幸福な世界であるから「常・楽・我・浄」だと言えますし、
この世は高橋信次氏などが説いていたように現象界であり仮の世界であり、魂の修行の場なのですから「無常・苦・無我」の世界だと言えるわけです。
とは言っても、この世で成功や幸福な生活をしていくためには、
この世は「無常・苦・無我」だと知りつつも、
ニューソート思想にあるプラス思考で生きていく方がいいのかもしれないですね。