今回も前回の続きになります。
スピリチュアリズム普及会は釈迦が悟った内容は
物質世界での法則でしかなく、
普遍的な霊的真理ではないと言ってますが、
私はそうは言えないと思ってます。
釈迦の基本の教えとして「中道」という考え方があります。
中道とは極端に偏らない適度さやバランス、ほどほどの立場という教えになります。
釈迦の思想を中心に説いていた高橋信次氏もこの釈迦の中道を強調していて、
最もバランスのとれた、調和された状態というのが中道であり、
何事も、中道の立場で考え行なうようにと言ってました。
確かに、「腹八分」といわれるように、何事もほどほどにしておくのが最も快適な状態だというのは日頃の生活でも感じることです。
そしてそれはこの世の物質世界だけのことではなく、
あの世でも同じだと思えます。
『真相を霊視してゆっくり解説』でも、
何事も適度さ、ほどほどにしておくのが良いと言ってましたが、
あの世でも釈迦が悟った中道という法則は有効であり、
この世とあの世と共通の真理だと言えると思います。
また、スピリチュアリズムでは、実際の行動だけでなく、
言葉で言ったことでも心の中で思ったことだけでも、
実際に行なったことと同じだと言ってます。
この法則はこの世とあの世の共通の法則で、
イエス・キリストも、欲情の心で女を見るのは実際に姦淫したことと同じだと言ってます。
それについては釈迦も、身口意の三業によって言葉で言ったことも
心で思ったことであっても、
実際に行なったことと同じで、業を形成するとしており、
例えば罵詈雑言などの毒の言葉を吐けばそれは自分に返ってくると言ってます。
釈迦がこの世の物質次元に限られた現象についての法則しか悟っていなかったのなら、
言葉で言ったり心で思っただけでも業を形成するとは説かなかったはずですし、
唯物論者のような行動面だけの教えを説いていたと思います。
身口意の三業の教えはあの世とこの世を貫く普遍的な霊的真理だと言えますし、
それを説いていた釈迦は霊的真理を悟っていたと思われます。
そういうことからも、釈迦は霊的真理を悟ってはいないとは言えないと思ってます。