前回の続きになりますが、一口にスピリチュアリズム、スピリチュアル思想といっても、さまざまな立場や考え方、捉え方があり、一括りには語れないという難しさがあります。
間違った見解もあるようなので全てを信じるということはしない方がいいようです。
私は「スピリチュアリズム普及会」はある程度信頼していたのですが、
近頃はやはりそのまま全てを信じるのは危険だと思うようになっています。
以前の記事にも書きましたが
(この世では高級霊も間違う - スピリチュアルを考察するブログ)、
高級霊シルバーバーチの教えを啓蒙しているスピリチュアリズム普及会が、
そのシルバーバーチの教えに反して、霊能者の江原啓之氏に個人攻撃のような批判をしたこともあり、
全幅の信頼を置けるとは思えないところがあるからです。
確かに江原啓之氏も全知全能ではないですから、
間違っているところもあるとは思いますが、
それでも「ニセ霊能者」という言い方は言い過ぎだと思います。
また、近頃見たこちらのサイト↓
スピリチュアリズム普及会の間違った神観。 | 私のスピリチュアリズム
上記のサイトにもあるように、
解釈の仕方で変わってくるものです。
当たり前のことですが、スピリチュアリズム普及会はシルバーバーチの思想を啓蒙はしていてもシルバーバーチそのものではないので、
間違った解釈をしてしまうこともあるでしょう。
また、釈迦の思想についても、下記の記事にもありますが↓
スピリチュアリズム普及会は、釈迦の思想はこの世の物質世界に限られたものであり、
霊的真理のレベルに達していないと批判していて、釈迦を見下しているような表現をしていますが、
それに対して、上記の記事のブログ主は、
釈迦は霊的真理を探求していたことを主張しています。
つまり、釈迦は霊的真理を悟っていたと語っていた高橋信次氏と同じ立場であるわけです。
確かに、釈迦は弟子が霊魂は存在するのかとかあの世はあるのかなどと霊的な形而上学的な質問をしてきても、「そんな考えても分からないことは解脱には役立たないから答えない」と言って沈黙していましたが、
釈迦は霊的存在や霊的世界は「ある」とも「ない」とも言ってないだけで、
霊的真理を否定したわけではないようです。
弟子に明確に霊的真理を説かなかったからといって、霊的真理を悟っていなかったとは言えないと思います。
ただ、霊能力のない私にはどの考え方が真実なのかということは分からないので、
1つの考え方だけに偏らずに、さまざまなスピリチュアル思想を総合的に判断し、
それらを平均化して思想的モデルとしていた丹波哲郎氏の立場でいく方が無難だと言えます。