スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

守護霊・指導霊は信じない方がよい?

こんばんは、光です。

丹波哲郎氏の本に、守護霊には朝晩のあいさつをするなどコミュニケーションをとっていればよく守ってもらえるだろうと書かれていたので、私も当時はなるべく守護霊とコミュニケーションをとるようにしていたのですが、その後、江原啓之氏がテレビ番組で、守護霊に頼りすぎて自分で努力しないなら守護霊は守ってくれないと言ってるのを見て、そうかもしれないなと思いました。

人は人生がうまくいくようにとか、悪いことが起きないようにという気持ちから何かを信じて頼りたいと思うものです。
それがいろいろな信仰という形になっているのだと思うのですが、守護霊や指導霊の場合は頼っても却って厳しく突き放されるようで、江原啓之氏は自分で努力してこそ守護霊や指導霊が守ってくれるし助けてくれるのだと言っています。
結局、守護霊や指導霊が自分を守ってくれるか助けてくれるのは、信じるか信じないかではなく、自分で努力するかしないかということのようです。
そう言えば、大槻義彦氏や松尾貴史氏や上岡龍太郎氏などはガチガチの唯物論者で霊とかあの世とか生まれ変わりなどを否定し批判してましたが、この人たちの人生は別に悪いことも起きず、それなりに成功の人生を送っているようです。
守護霊など信じず自分自身で努力していったから却って守護霊に守られ指導霊に助けられて人生がうまくいってるということではないでしょうか。
逆に守ってもらおう助けてもらおうと思って、仏壇にたくさん供え物をして先祖供養などを一生懸命やってる人に限って不幸なことが起こったりして人生がうまくいかないものです(実際にそういう人を何人か知っています)。
「神は自ら助くる者を助く」ということわざもあるように、自分で努力しないで頼りすぎてはいけないということなのでしょう。
そういう意味では、大槻氏などのように、「守護霊なんかいない」と思っているぐらいがいいのかもしれません。
ただ、それでも私は自分に守護霊がついているということを実感しています。
いままで私は自転車で道路を走っている時、横の路地から徐行もしないでいきなり車が飛び出してきたりして轢かれそうになったことや、歩道を歩いている時でも、車が歩道に徐行もしないで進入してきて轢かれそうになったことが何度もありますが、その度ケガもしないで助かった体験があります。
それは守護霊に守ってもらえたのだろうと思っていますし、そのように実感しています。
ただ、指導霊については、自分には指導霊はついてないか、ついていても霊格の低い指導霊しかついてないんだろうなと思っています。
指導霊はその人の仕事や才能などの分野で導き助けてくれる霊なのだそうですが、私は未だに自分の才能が花開いたこともなく、自分に向いてないと思う方にばかり人生が進んでしまっているように思えるので、恐らく指導霊から見放されているのではないかと思います(-_-;)
まあ、自分の努力が足りないということなのかもしれませんが(^^ゞ