スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

愛の優先順位についての考察

こんばんは、光です。

スピリチュアル思想では「愛」を最重要な根本のテーマとしています。
「人を愛する」「人に愛を与える」ことこそが人生の全てだと言っています。
その「愛」についてなんですが、私は愛の優先順位について考えていたことがありました。
それは、イエス・キリスト墨子が説いていた「無差別の愛」が最重要なのか、それとも、孔子孟子が説いていた「自分の親や身内を優先した愛」が最重要なのかということです。
孟子は「無差別の愛」を説いていた墨子を「自分の親をないがしろにするものだ」と批判していましたし、墨家側は孟子の思想を「自分の身内だけを愛する差別愛だ」と批判していました。
どちらも一理はあると思いますが、ただ、私は以前は、自分は親によって養われ助けられて成長してきたのだから、まずは自分の親を最第一に愛するべきではないか、また、家族として兄弟と助け合って生きてきたのだから、親に次いで、兄弟などの身内を他人よりも優先して愛するべきではないかと考えてましたので、孔子孟子のいうことが正しいのではないかと思っていました。
以前はそのように考えていたのですが、近頃は考え方が変わってきて、イエス墨子の「自分の家族と他人を差別しない普遍的な無差別の愛」が真理として正しいのではないかと思ってきているところです。
というのも、これもスピリチュアル思想によっているのですが、自分の親や兄弟といっても、あの世での故郷が違う魂がこの世で仮の家族として生まれ合わせていることが多いということなので、その観点から言えば、自分の家族であっても元々は他人と変わらないわけです。
で、あるならば、自分の家族と他人を差別する根拠もないのではないかと思えてきたからなのです。
確かに親や兄弟から助けられてきたということはありますが、他人からも助けられてきているわけですから、そこに優先順位をつけるという差別愛は間違いではないのかと思っているところなのです。
とはいっても、現実にはどうしても家族優先になってしまうものですが。
普遍的な人類愛とか無差別の愛などと大きなことを言う前に、まずは自分の家族を愛せなければ赤の他人も愛せないと言えそうですね。