スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

神についての考察

こんにちわ、光です。

きょうは神について考えてみたいと思います。
私は小学校低学年の頃までは、自分で独自の神を持っていました。何かを神として祭って拝んでいたというわけではなく、神がいつも自分についていると思っていて、心の中で神と対話していたのです。
その頃私が思い描いていた神というのは、聖徳太子源頼朝肖像画のような姿の人格神で、私は何か困ったことがあったり、何かをしなければならないという時などは、「神様、助けてください」などと心の中で頼んでいたものでした。
今から思えば神というよりも守護霊のような存在として考えていたようです。
日本神道の「八百万の神」(やおよろずのかみ)やギリシャ神話などの人格神はスピリチュアルの立場から言えば神というよりも高級霊ということになるんでしょうか。
ただ、高級霊にしては怒ったり嫉妬したり荒くれだったりと、人間臭さが強すぎるように思いますが。
私はそれらの人間臭さのある人格神としての神々よりももっと根源的な神、宇宙創造神としての神が存在していると今は信じています。つまり、キリスト教ユダヤ教イスラム教の神のような根本の神が存在すると信じています。
高橋信次氏もそのような神の存在を説いていました。高橋氏の説いていた神とは、人格神ではなく、大宇宙の意識であり、意思あるエネルギーだということです。そのような巨大なエネルギー体を神と名づけていました。
また、江原啓之氏は根源の神とは、この世に姿を持ったことのない自然霊の中でも最高級、超高級の自然霊だと言ってました。
いずれも根本的な神とは姿形のあるものではないということです。だから、ユダヤ教キリスト教イスラム教ともに形あるものとしての偶像崇拝を禁じたのではないかと思います。
この宇宙が存在し、この地球が存在し、さまざまな物質が存在し、私たちが存在するのは、唯物論者が言うような偶然などというものでなく、そのような根源的な神が存在するからなのだろうと私は考えています。