スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

唯物論者への疑問

こんにちわ、光です。

私はスピリチュアル思想を信じてますが、それでも普段、知り合いと話す時でも、相手がスピリチュアル思想を信じていることがはっきりわかってなければ、あまりスピリチュアルの話題については話せないですね。
やはり、霊とかあの世とか生まれ変わりなどについて話すとバカにされるんではないかと思ってしまって、そういう話を気軽には話せないです。
やはり、世間一般的には唯物論的な傾向が多数を占めてるんではないかと思います。だから、スピリチュアルについて人と話してると、「そんな非科学的なことを信じてるのか?」と思われそうで、なかなか気軽に語れないというところはあります。
とはいっても、テレビ番組なんか見ていても、事故や災害などで身内を亡くした人がインタビューに答えたりしてるのを見ると、たいがい「安らかに眠ってもらいたい」とか「成仏してもらいたい」とか「天国で幸せに暮らしてもらいたい」などと語っていますね。
そういうのを見ると、世の中の多くの人は死んでも霊魂が残るんだとか、死んだ後、魂はあの世の世界に行くんだということを信じてるようにも見えます。
普段、心霊番組などを「バカバカしい。霊なんかいるわけないじゃないか」などと見下しているような人でも、身近に人の死に接すると、霊の存在やあの世の存在、それに生まれ変わりでも信じているようなことを言うものです。
そもそも霊の存在を信じてないなら、事故や災害で多くの人が亡くなっても慰霊祭を行なう必要もないのですが、必ず慰霊祭は行なわれます。それは死んだ後も霊として存在するということを信じていることの証でもありそれが前提になっているからこそ、慰霊祭というものがあるのでしょう。
それについては前々から思ってることなんですが、大槻教授とかタレントの松尾貴史さんなどはガチガチの唯物論者として知られてますが、この人たちは墓参りや法要はしないんでしょうかね。
まあ、よその家の葬式にしても自分の身内の葬式にしても、そういう葬儀告別式などは霊の存在を信じてなくてもただ社会的儀礼として参列したり式をとりおこなっているだけだという言い訳はできるでしょうが、墓参りや命日の法要などは社会的儀礼として行なう必要はないもので、霊が存在することを信じてなければ行なっても無駄なことになってしまいます。
唯物論者の人たちは一切墓参りや法要は行なわないんでしょうかね。それともバカバカしいと思いながらも慣習として墓参りや法要を行なってるんでしょうか。
そこのところを聞いてみたいものです。