このところ、「誰でもいいから、人を殺してみたかった」という理由による殺人事件や殺人未遂事件が立て続けに起きています。
そのような無差別殺人事件によって殺されたり殺されそうになった被害者は、
一般社会の唯物論的な考え方からすれば「たまたま狙われた不運な被害者」とか
「偶然事件に巻き込まれた被害者」という見方をされていますが、
スピリチュアル的な考え方からすれば、
その被害者はカルマの刈り取りとして殺される、
あるいは殺されそうになる宿命にあったということになるようです。
スピリチュアルでは自殺以外はたとえ事故死でも殺されても
それは寿命だということなので、そのような場合でも宿命であり寿命ということになるのでしょう。
そのことについて、近頃疑問に思っていることがあります。
殺人事件の被害に遭う人はカルマであり宿命と言えますが、
では、殺す側の人間はどうなんでしょうか。
カルマの刈り取りとして殺される宿命にある人がいるということは、
その人を殺すという宿命にある人もいることになります。
そうなると、カルマの刈り取りのために殺すのに、
その人もまた殺人のために、新たにカルマを造ってしまうということになるのか。
それともカルマを解消させてあげる役なのでカルマにはならないのか。
そこのところはどうなっているのか。
そういう疑問を抱いています。
そんな疑問について考えていたところ、
『真相を霊視してゆっくり解説』動画で、
私と同じ疑問を持っている人からの質問が取り上げられていました。
「前世のカルマを解消するために、殺される宿命があるということは、
人を殺すために生まれる宿命もあるということなのか?」
という質問内容ですが、
それに対する回答は、「言いたくないことなんだけど」と前置きして、
「何もなく解消されるものもない」という答えで、
「あとは察してくれ」ということで明確な回答はありませんでした。
明確に回答はしてませんが、
殺されるカルマがある人がいれば、
その人を殺すという宿命の人もやはりいるということのようです。
ただ、そうなると、人のカルマ解消のために殺す側の人もまた
新たにカルマを背負ってしまうのかということになり、
それでは果てしがないのではないかと思えます。
スピリチュアル思想そのものは真理として信じてますが、
まだまだよく判らないところもあります。
そういうところもあの世に還ってからでないと明確には判らないのかも知れないですね。