この世の人生では罪をひとつも作ることなく生ききることが1番いいんですが、
実際はなかなかそうはいかないものです。
というよりも、罪をひとつも作らずに生きるというのは不可能ではないかと思います。
罪というのは法律違反の犯罪だけではなく、
真理から見れば、人に迷惑をかけたり
人を不快にさせたり心を傷つけるようなことも罪になるのでしょう。
そのような真理から見て罪になるようなことを1つも作らずにこの世を生きるというのは不可能ではないかと思います。
ネット上の多くのスピリチュアリストも、
この世を生きていればどうしても罪を作ってしまうし、
知らずに罪を作ってしまうものですと言っています。
だから、ひとつも罪を作らずに生きていくというのはやはり不可能なことのようです。
ただ、大事なのは罪を作ってしまったあとの対処の仕方であり、
作ってしまった罪に対してどれほど反省したか、
そして、その後、どれほど罪を作らないようにして生きていったかという
生きる姿勢にかかっているということなのでしょう。
私は若い頃はあまり反省をしていませんでした。
その後、高橋信次氏の思想に出会って、
反省の重要さを知ることができました。
反省の重要性は高橋信次氏だけでなく、
多くのスピリチュアリストも強調しています。
高橋信次氏が言っていたように、反省の行は罪を作った人間が救われるための神から与えられた慈悲だと言えるでしょう。
罪を作ってしまったらそのまま地獄行きが決まってしまうということだったら、
もはや救いようがないですが、
反省をすることによって心の曇りを取り去り、
カルマを軽減することができ、さらには地獄行きを免れることもできるということなので、反省の行は自己の罪から自分を救う唯一の方法だと言えるでしょう。
宗教の中には、呪文のような言葉を唱えたり、特別な行を行なえば宿命転換して罪を赦されて幸福になれると主張しているところもありますが、
スピリチュアルの真理から言えばそれはないといえます。
心から反省もしないでただ自分が罪を免れるために呪文のような言葉を唱えたり特別な行を行なったからといって罪が消えてしまうということはあり得ないでしょう。
単なる形式や儀式ではなく心から自分の罪を悔い改め反省して初めて罪を赦されるということなのでしょう。
そういう意味でも、高橋信次氏の思想やスピリチュアル思想を知ることができて良かったと思っていますし、特に反省の行の重要さを説いていた高橋信次氏には感謝しています。