スピリチュアルを考察するブログ

スピリチュアルについてさまざまに考察してゆくブログです。なお、コメントへの返信が遅れることがありますが、ご容赦くださいませ。

仏教の輪廻転生観

こんばんわ、光です。

現在の日本仏教では霊供養などを行なっていて、

霊が存在するのを前提にしているような風潮ですが、

しかし、教義的には、霊の存在を否定しているのも仏教なんですね。

私の家の宗派では「釈迦は霊魂の存在を徹底的に否定した」というように学んだ覚えがあります。

なぜ教義では霊を否定してるのかというと、

仏教は伝統的に自我の存在を否定しているからだそうです。

霊という存在があるということは

自我というものが存在していなければならないと思いますが、

仏教経典には「無我」と説かれていて、本来「自我」というものは存在していないことになってるそうです。

しかしそれでも仏教では生まれ変わりを認めています。

生まれ変わるのなら、生まれ変わる主体がなければ生まれ変われないと思うんですが、

では主体としての自我が存在しないのになぜ生まれ変わるのかというと、

人が生きている時に行なった業(カルマ)によって、主体がなくても次の生(来世)に業が引き継がれて生まれ変わるといった解釈をしているようです。

ただ、私はこの仏教の輪廻転生説は無理があるように思います。

スピリチュアリズム普及会の 『スピリチュアリズム・ブックス』でもその矛盾点を次のように書いています。

不思議に思われるかもしれませんが、シャカ本来の教えには、霊魂とか霊界といった“永遠的実在”は存在しません。仏教における「輪廻はあるが、輪廻の主体となる霊魂といった独立自我はない」という考えには、常識的に言って大きな矛盾があります。不変的な“独立自我”というアイデンティティーを認めてこそ、生まれ変わりが理論的に成立するからです。独立自我はないのに生まれ変わりはある、という矛盾した輪廻観を合理的に説明しようとしてシャカの死後、弟子たちによって難解でこじつけとも思えるような説が唱えられることになりました。

仏教の思想は長い歴史の間に変化していったということも考慮しなければならないようです。

家の宗派では「釈迦は霊魂の存在を徹底的に否定した」と言ってましたが、

その後いろいろと仏教書を読んでいたら、釈迦はもともと霊の存在を「ある」とも「ない」とも断定してなかったようですね。

霊は存在するのかとかあの世はあるのかなどという見ることもできず考えても分からない事柄は解脱に役立たないから質問されても答えないと言ってたそうです。

それが「霊魂の存在を否定した」と解釈されてしまったということのようです。

ただ、それならそれで、教義上は霊の存在を否定して、実際には霊の存在を認めているという仏教には矛盾を感じてしまいます。

いっそのこと、「霊魂は存在する」と教義を変えてしまった方がいいと思いますがね。