こんばんわ、光です。
今回は少し難しい話になりますが、
哲学の認識論の中に「独我論」というものがあります。
ウィキペディアによると、「自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする立場」だということで、
その独我論にもいくつかあり、その中の1つに、
「心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場」というものがあります。
つまり、自分独りのみが世界に存在していて、自分以外のものは存在していないという世界観なのです。
なぜここで独我論について書いたかというと、
実は私が小学6年生の頃に、そのことを思ったことがあるからなんです。
よく一緒に遊んでた友達がいたんですが、ある時、ふと、
自分は友達を見ているが、自分自身は鏡などに映さない限り自分を見ることはできない。いつも、見る景色は自分の目を通して見ていて、自分自身を客観的に見ることはできない。
というような考えが浮かんだのです。
それは当たり前の話なんですが、その時は、それが不思議に思えて、
なぜいつも自分の視点なのか、なぜあの友達の視点からこの自分を見れないのか、
などという考えが浮かび、
それから、もしかして、今見ている自分だけが存在していて、あの友達も、それ以外のものも、とにかく自分以外のものは本当に存在しているのかどうか、
などと考えていったのです。
小学生の頃なので、ここに書いたような難しい言葉では考えませんでしたが、
そういう内容のことを思ったわけなんです。
別に小学生の頃から哲学的な考察をしていたわけではなく、
ふとそういう考えが浮かんだというだけのことで、
その時はそれ以上深く考えることもなく、忘れていったのですが、
もし、あの時その疑問を考え続けていたら、その後哲学者になってたかなとも思ったりしてるんですが、残念ながら、その後も深く考えることもなく、凡庸な人間になってしまいました。
ただ、大人になってからも時々その時のことを思い出しては、
あの頃はあんなことを考えたことがあったなと懐かしむ程度だったのです。
それでずいぶん後になって、哲学を少し噛じるようになってから、
自分が考えてたのは独我論だったんだなと気がついたわけなんです。
私は哲学者ではないので、独我論が正しいか正しくないかと議論するだけの知識もないですが、普通に考えれば、独我論は実際には成立しないと思えますね。
スピリチュアルの立場から見ても独我論は成立できないでしょう。
もし、この世界に自分の精神だけが存在していて、自分以外の誰もが全て実在していないというなら、人を傷つけたり殺したりしても地獄に堕ちることもないわけです。
普通に考えても独我論はただの戯言でしかないと思えますね。
また、自分の認識とは無関係に自分が知らないところで、自分の知らない人々が生活していて、さまざまな事件など起こしたりしてるわけですから、
自分1人の世界観では説明できません。自分が認識しようがしまいが、
他者は存在し活動し、世界は動いているというわけです。
自分以外に多くの魂が存在しているのは確かだと思いますね。